長宗我部元親、信長に恭順示す
戦国時代に土佐(高知)の武将だった長宗我部元親が四国の領土をめぐり、本能寺の変の前に織田信長の命令に従う意向を示した手紙が見つかり、所蔵する林原美術館(岡山市)と、共同研究する岡山県立博物館が23日、発表した。
信長は当時、四国攻めの準備をしていた。元親と関係の深い明智光秀が恭順の意を示した元親を攻めようとする信長を止めようと本能寺の変を起こしたとする「四国説」があり、県立博物館の内池英樹主幹は「信長が四国を攻めようとする直前の元親側の様子が明らかになった」と評価している。
手紙は天正10(1582)年5月21日付。直後の6月2日に本能寺の変が起きた。
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