目の前で起こっていることが、正直理解できなかった。サッカーに出会って以来、ブラジルは常に強かった。それが、例え「史上最低」と揶揄されたチームだったとしても。
同じことはドイツにも言える。W杯の優勝回数こそ3回と、ブラジルの5回には及ばない。しかし、西ドイツ(当時)として初優勝した1954年スイス大会以降、今大会まで16回連続で出場して4強を逃したのはわずか4回。その4回も全てベスト8には入っているのだから、常に優勝候補に挙げられるのも納得だ。
それほどの強豪国ながら、本大会での対戦がないのは「W杯の七不思議」の一つといわれていた。そんな、ファンにとって夢のカードが現実のものとなったのは、アジアで初めてW杯が開催された2002年日韓大会。横浜で行われた決勝戦だった。
ドイツを2―0で下したブラジルが5度目の栄冠に輝いてから12年。2度目の対決が実現した。世界中の誰もが好勝負を期待した。そして、スタジアムを埋め尽くした開催国の老若男女は皆、セレソン(ブラジル代表)の勝利を信じて疑わなかった。
だが、試合開始からわずか30分足らずで彼らは失意のどん底に突き落とされていた。当事者ではない日本の記者ですら信じられないのだから、涙を流すブラジルのファンが現実を受け入れられないのも無理はない。彼らにとってサッカーは空気と同じで、なくてはならない存在だ。そして、いつの時代もその戦いぶりで新鮮な“空気”を供給してきたセレソンは、この国にとって最大の誇りだったからだ。
ネイマールの負傷やチアゴシウバの出場停止が、敗因として取りざたされるレベルの話ではなかった。ドイツの選手たちはもともと持ち合わせていた屈強な肉体に加え、テクニックというブラジルが誇ってきた最大の武器までも身に付けていたのだ。
「悲劇」は勝利をつかむ実力があったからこそ語れる。初の自国開催だった1950年W杯でウルグアイに逆転負けを喫した「マラカナンの悲劇」ではその資格があった。しかし、1―7とセレソン史上ない大敗を喫した今回のブラジルに、それを語る資格はない。
2014年7月8日、連綿と築かれてきたブラジル神話が、ついに崩れた。
岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル
サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。
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