日本人と変わらない体格。だが、個々が高い技術を持ち、しっかりと構築された戦術に基づいて試合を進めていく。メキシコは世界で戦えるチームだと、初めて感じたのは1998年のW杯フランス大会だった。
自国開催の86年大会でベスト8。その直後に、年代別大会での年齢詐称が発覚し、90年イタリア大会の出場資格を失った。16強に入った94年米国大会に続き、メキシコ代表を生で見る2度目のW杯がフランス大会だった。そこで躍動した緑色のユニホームの戦いぶりは、いまも目に焼き付いている。
場所はサンテティエンヌ。1次リーグ最終戦でオランダと対戦したメキシコは前半に2点を取られながらも、後半に追いつき2―2の同点に持ち込んだ。初出場の日本が3連敗を喫した大会で、「日本が目指すのは、これだな」と強く印象に残ったものだった。
16年ぶりの再戦。開始から主導権を握ったのはメキシコだった。1次リーグ全チーム最多の10ゴールを記録しているオランダに対し、同最少タイの1失点で勝ち上がってきたメキシコは周到に守備の罠を用意していた。ロッベン、ファンペルシーという強烈な2トップに対し、DFラインを引き気味にしてスペースを与えなかったのだ。
ただ、それは決して消極的なものではなく、攻めるための守備固めだった。相手が前に出てくる分、自らが攻めるスペースも広がるからだ。「効果的」な攻めという意味では、後半立ち上がりまでメキシコの一方的といえる展開だった。
後半3分、ドスサントスの見事な左足シュートでメキシコが先制。決定的なピンチも、乗りに乗るGKオチョアが見事なセーブでしのぐ。勝者はメキシコ―。誰もがそう確信を抱く中、残すところ数分。そこで、悲劇は起こった。後半43分のスナイダーの弾丸シュートと、同ロスタイムのフンテラールのPK。底力と言ってしまえばそれまでだが、オランダの勝負強さに敗れ去ることになった。
確かにメキシコは敗れはした。だが、実力が劣っての敗戦ではない。気まぐれな女神が微笑まなかっただけだ。多くの人は、今大会のメキシコを“グッド・ルーザー”(素晴らしき敗者)として記憶に留めるだろう。
岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル
サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。
※無断転載を禁じます。 当ホームページに掲載の記事、写真等の著作権は大分合同新聞社または、情報提供した各新聞社に帰属します。