前回のブラジル開催。1950年W杯で事実上の決勝戦となったウルグアイとの決勝リーグ最終戦に逆転負けし、ブラジルは「死の町」と化したという。いわゆる「マラカナンの悲劇」だ。それ以来、ブラジル代表は第1ユニホームを白から現在のカナリア・イエローに変えた。
それから64年後、ブラジルはまたしても「死の町」になりかける寸前だった。ただ違ったのは、セレソンのゴール前に控えていたのが、いまだに戦犯として非難されるバルボーザではなく、ジュリオセザールだったということだ。
ちなみに、50年大会で逆転を許したGKバルボーザは黒人選手だった。以来、ブラジル代表は黒人選手のGKに抵抗感を示し、2006年ドイツ大会のジダまで半世紀以上にわたって黒人選手を起用しなかったほどだ。
オランダに敗れたとはいえ、前回王者スペインを下しての決勝トーナメント進出。一見地味ながらも、チリは予想以上に戦闘力の高いチームだった。ほぼカナリア・イエローで埋まったスタジアムでブラジルに相対しても臆することはなかった。そのチリの「勝つ」という信念が、見る者にとって最高の120分をもたらした。
試合は前半18分にCKからダビドルイスが決めてブラジルが先制するが、チリも同32分にエースのサンチェスが同点ゴール。その後は、互いの決定機を両GKが好守で防ぐ息詰まる展開になった。
高密度の試合は延長戦を終えても1―1のまま。両GKはキッカーと約11メートルを挟んでのPK戦に臨んだ。ここでチリGKブラボより少しの幸運を持っていたのがジュリオセザールだった。連続して2本をセーブ。その後2―2に追いつかれたが、チリ5番手ハラが失敗。クロスバーをたたいた延長後半終了間際のチリ・ピニジャのシュートに続き、今度はゴールポストがブラジルを救った。
ジュリーセザールの活躍。それはチームを救っただけでなく、今回のW杯そのものを救った。もし開催国のブラジルが敗れていたら、大会そのものが終了した感じになったに違いない。そうなれば治安の乱れは避けられない。ブラジルを旅する者にとっても熱戦を見たあとのこの結末は、非常に好都合だった。
岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル
サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。
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