勝敗は最後の笛が鳴るまで分からない。これは確かにサッカーの真理であろう。しかし、その後の展開が早々に読めてしまう試合もたまにはある。それが、マラカナン競技場(リオデジャネイロ)で行われた準々決勝のフランス対ドイツだったのではないだろうか。
両国がW杯で対戦するのは、今回で4度目。初対戦となった1958年スウェーデン大会の3位決定戦で勝利して以降、フランスはW杯でドイツに勝てていない。
ともにW杯優勝国ながら、フランスは「ドイツ・アレルギー」を抱いているように見える。その発端となったのが、82年スペイン大会。準決勝で西ドイツ(当時)と激突したフランスは延長戦の前半途中で3―1とリードしたものの、追いつかれる。そして、W杯では初めてとなったPK戦で涙をのんだ。まさかの結末は、トラウマとなって今もフランスを苦しめているのだろうか。
ドイツが「フランスはカモ」の“方程式”をより強めたのは、86年メキシコ大会。またも準決勝でフランスと相対したドイツは前半9分に先制すると、攻めに出る相手守備ラインの裏を突き、終了直前に追加点。フランスをいたぶる快感を身につけたのだ。
先制されたら追いつけない。先制しても追いつかれる。そんな強豪らしからぬ心理で、戦いに挑んだわけでは決してないだろう。ただ、試合開始から良い形の攻めを展開し、主導権を握ったかに見えていたフランスにとって、前半13分にFKからフンメルスにヘディングをたたき込まれたのは、かなりショックだったに違いない。しかも、それはドイツに訪れた初めてのチャンスだったのだ。
その後、フランスは確かに攻め込んだ。ただし、それはサイドまで。いくらクロスを入れても、センターバックのボアテングとフンメルスがことごとくカットする。ようやく決定機を作っても、大会最高のGKノイアーがシャベルのような手でいとも簡単にストップ。そんな光景を目の当たりにしたフランスの選手たちに「今回も無理か」との感情が芽生えたとしても、致し方のないことだった。
インフルエンザの影響で、ドイツが万全でなかったのは明らか。それでも手堅く勝つのが、この国の持つ伝統なのだろう。一方、フランスはというと、ドイツに対する苦手意識だけが強まる1戦になってしまった。
岩崎龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル
サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続となる。
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