ソチ冬季五輪は6日、開会式(7日=日本時間8日午前1時から)に先だって新種目のスノーボード・スロープスタイル(SS)予選で競技が始まった。17歳の角野友基(日産X―TRAIL)が日本選手のトップを切って出場したが1組の13位にとどまり、決勝進出は決まらなかった。
今大会、4競技で12種目が新たに採用された。SSは障害物の上を滑り、ジャンプ台から飛び出して大技を競う。米国での高額賞金大会「冬季Xゲーム」で高い人気を誇り、五輪での実施となれば、テレビの画面を通して、その迫力が世界中に広がるはず。五輪デビューにふさわしく、スノーボード界のスーパースター、ショーン・ホワイト(米国)が出場して花を添えるはずだった。
ところが、である。「晴れ舞台」の主役になるはずのホワイト本人が、競技前日になって「肩透かし」を食らわせたのだ。世界のメディアが注目する記者会見でハーフパイプ(HP)との2冠獲得に意欲を示しながら、数時間後にはSSの欠場を表明。「スター不在」で注目度は一気にしぼんでしまった。
「心変わり」の理由は何だったのか。ジャンプ台の大きさなど、コースの危険性が指摘され、メダル有望選手も練習で大けがを負った。ホワイトは「チームのために、3連覇がかかるHPに集中することにした」と、交流サイトのフェイスブックで説明した。米国選手団の一員として、故障のリスクを回避したと言いたいのだろう。
スノーボードは1998年長野冬季五輪から始まった。3連覇すれば、スノーボードでは初めてになる。ノルディックスキー複合個人で72年札幌大会から3連勝したウルリヒ・ウェーリング(当時東ドイツ)らの偉大な記録に並ぶ。
アクションをアピールするXゲームは「エクストリーム(極限を競う)ゲーム」に由来する。危険と隣り合わせのスポーツだからこそ、若者の支持を得ている。そのXゲームの王者が「安全」を選択した。大会前に足首や手首を痛めたこともあるだろう。五輪は賞金レースではない。うがった見方をすれば、歴史に名前を残す道を優先したともとれる。トレードマークだった長髪をばっさり切った。ホワイトは事業家のような、大人の判断をしたのだろう。
(共同通信社編集委員 原田寛)
☆原田寛(はらだ・ひろし)1956年秋田県生まれ。共同通信ではスキー、テニス、五輪などを取材。冬季五輪は1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで4大会を取材。運動部副部長、大阪運動部長を経て現在、編集委員。
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