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【五輪コラム】妹は僕の手本

[2014年02月15日 06:51]

 アルペンスキーの男子スーパー複合でクロアチア選手団の旗手を務めた34歳のイビツァ・コステリッツが2位となり、五輪で通算4個目の銀メダルを獲得した。妹のヤニツァ・コステリッツは2007年春に引退しているが、女子アルペンで通算4個の金メダルを手にしており、妹に続いての五輪金メダルは惜しくもならなかった。
 イビツァは2歳違いの妹を追い掛ける格好でスキー人生を送ってきた。2001年11月、米コロラド州アスペンで行われたワールドカップ(W杯)回転第1戦が一流選手への転機だった。1回目に64番でスタートし、2回目のラップタイムを奪って初優勝する快挙を達成した。スピード系の滑降などと違い、2回の合計タイムで競う技術系は番狂わせが少ない。64番からの勝利は回転で最も遅いスタートからの勝利だった。
 筆者は偶然にも「歴史」に立ち会った。02年ソルトレークシティー冬季五輪を目指す日本選手を取材する目的だったが、皆川賢太郎は16位、木村公宣は2回目に進めなかった。イビツァは「妹は僕の手本。W杯で精神的に一番強い選手」と話した。その言葉通り、02年五輪でヤニツァは回転、大回転、アルペン複合の3冠に輝いた。今でも、兄は頭が上がらないことだろう。
 さて、五輪組織委員会は各国・地域から参加した全選手のプロフィルを情報提供している。今回の特徴は選手の戦績、ニックネーム、趣味、目標などとともに、過去の「故障履歴」を紹介していることだ。コステリッツについては「彼の選手生活は右膝のけがとの闘いでもあった。最初のけがは1998年長野五輪の5日前。2013年3月に10度目の手術を受けた」と記してある。
 アルペンスキーを始めた理由は「父親が自分と妹にスキーを勧めてくれたから」。さらに尊敬する人は「両親と妹」。父のアンテはハンドボールの元ユーゴスラビア代表選手。ジュニア時代の兄と妹は、父が運転する旧ソ連製の中古車に乗って欧州各地を転戦。お金を節約するため、車で寝泊まりした話は有名だ。苦難の時代を乗り越えて、今がある。
(共同通信編集委員 原田寛)

☆原田寛(はらだ・ひろし)1956年秋田県生まれ。共同通信ではスキー、テニス、五輪などを取材。冬季五輪は1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで4大会を取材。運動部副部長、大阪運動部長を経て現在、編集委員。

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