15歳の平野歩夢(バートン)が銀メダル、18歳の平岡卓(フッド)は銅メダル。スノーボード男子ハーフパイプ(HP)で、10代コンビが日本に待望のメダルをもたらした。
平野は予選1組トップでゆうゆう決勝へ。2組の平岡も3連覇を目指すショーン・ホワイト(米国)に次ぐ2位で通過した。ともに五輪は初めてとはいえワールドカップなど国際舞台の実績もあり、上々の出足だった。日体大コンビの青野令、子出藤歩夢は残念ながら予選落ちとなった。
12人で争われた決勝も2回滑ってベストのスコアが採用されるシステム。1回目から平野は緊張や気負いを少しも感じさせなかった。いつもは6メートル前後を記録する「高さを五輪で見せたい」という抱負の通り、素晴らしいエアを披露。中継テレビのレンズが追い切れないほどの迫力で90・75点を獲得し首位に立った。対照的に平岡とホワイトはミスが出て、2回目にすべてを賭けることになった。
その2回目は、6番スタートのユーリ・ポドラドチコフ(スイス)が大技を決め94・75点でトップに。その後9番出走選手が低スコアにとどまったため、この時点でメダル争いはポドラドチコフとホワイト、日本勢の4人に絞られた。日本の今大会初メダルが確定した。
そして平岡の挑戦。難度の高い技を次々に披露して92・25点をたたき出した。続く平野は重圧なんて無縁とばかり力を出し切って93・50点。最後のホワイトは迫力満点に攻めて帝王の意地を見せようとしたが、ミスがたたって90・25点。金メダルにこそ手は届かなかったが、2人は息詰まるような競り合いを制してメダルを手中にした。
これまで冬季五輪の日本選手最年少メダリストは、1998年長野大会のスピードスケート男子ショートトラック500メートルで優勝した西谷岳文の19歳1カ月だったが、それを更新する快挙だった。
平野は「今までやってきたことを全て出し切れた」と言い「日本の初めてのメダルだったし最年少メダルでよかった」と満足そう。平岡は「めっちゃうれしい。全然緊張しなかった。大会は楽しかった」と手放しの喜びよう。
スノーボードは長野大会から採用されたいわば新興勢力だった。それが今や2人のように親や兄弟に手ほどきされて取り組み始めたボーダーたちが全国で続々育っている。それも小学生のころからスポンサーがつき、プロ活動で世界を転戦。冬のスポーツの祭典は時代とともに大きく変容しつつある。
(47NEWS 岡本彰)
☆岡本彰 共同通信の運動部で記者、デスク、部長などの立場から1972年札幌五輪以来多くの大会報道に携わった。記者としてはスキーを担当し、現在は47NEWS。
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