ロシアで初めての冬季五輪、ソチ大会が閉幕した。大会には史上最多の88カ国・地域から約2900選手が参加。ロシアへの反発や複雑な国際政治情勢などを反映し、テロ発生の脅威にさらされながら厳戒下の祭典だったが無事終了。プーチン大統領の下、運営上でも大きな混乱はなかった。
雪と氷の精鋭たちの戦いは今回もまた数多くのドラマを生み出した。金メダル争いではロシアが最多の13個を獲得。スポーツ大国の復活を印象付けた。スピードスケートで全12種目のうち8種目を制したオランダの圧倒的な強さは語り草になることだろう。
日本は1992年アルベールビル大会の7個を上回る、海外大会では最多8個のメダルを獲得した。国内外を問わず最多は98年長野大会の10個だから歴代2位にあたり、大健闘と評価できる。そのメダリストたちが実に多様な顔を持っていた。男子フィギュアスケートで金の羽生結弦選手は東日本大震災の被災者。地元仙台で練習中に地震に遭い、リンクと実家を失っている。その後、カナダ・トロントに拠点を移しブライアン・オーサー・コーチに師事して19歳で栄冠を射止めた。
銀メダリストは4人誕生したが、ジャンプ男子ラージヒルの葛西紀明選手は41歳、スノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢選手は15歳。日本のメダル獲得者の最年長、最年少記録を更新した。葛西選手は個人種目では7度目の五輪出場で初めてのメダルだった。40代の選手はプロ野球界などでも今や珍しくない。だが葛西選手の場合、所属先の会社が相次いで廃部するなど環境にも恵まれず、どちらかと言えば運のなさが付きまとっていた感じが強かった。そうした苦境を自ら打破したわけで、競技にかける情熱と体調管理の努力には頭が下がる。団体でも銅をさらった。6年後の夏季東京大会出場を目指す選手たちばかりか、一般の人たちにも大きな刺激になったことだろう。
平野選手は中学3年生だが、一流選手たちが集う国際大会で立派な実績を残していた。既に小学生の頃からスポンサーが付き、海外経験も豊富なプロだ。スポーツ界のグローバル化という視点で言えば、スノーボード女子パラレル大回転の竹内智香選手もその例にもれない。単身で5年間もスイスのナショナルチームに同行して力を蓄え、30歳のソチで花を開かせた。
ジャンプ女子の17歳、高梨沙羅選手はワールドカップ(W杯)で圧倒的な強さを誇っていた。だが五輪という特別な舞台のなせる業なのか、フリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子選手とともに4位にとどまった。カーリングの2人のママさん選手たちは頑張って5位入賞に貢献した。
フィギュアスケート女子の浅田真央選手を忘れることはないだろう。ショートプログラム(SP)でまさかの16位。それが翌日のフリーでは自己最高得点を挙げる会心の演技。失意のヒロインが不死鳥のように蘇って力を出し尽くした。その充足感が演技終了後の笑顔から読み取れ、メダルに劣らない感動と安らぎを日本にもたらした。
4年後は韓国の平昌で開催される。高梨、平野両選手らに交じって45歳のジャンパーの雄姿をぜひ見てみたいものだ。
(47NEWS 岡本彰)
☆岡本彰 1947年生まれ、北海道出身。共同通信の運動部で記者、デスク、部長などの立場から1972年札幌五輪以来多くの大会報道に携わった。記者としてはスキーなどを担当し、現在は47NEWS。
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