おおいた遺産

塚原高原

[2009年01月12日 15:12]

鎮守・霧島神社の師走の祭礼の時に行われる「甘酒祭り」

名物の甘酒祭り
 豊後富士・由布岳の北のふもと、東西およそ四キロにわたって標高六〇〇メートル前後の明るい広がりがある。それが塚原高原。日出生台、十文字原などの高原とともに、由布・鶴見山群が生んだ草の原の一つである。
 ただ、日出生台や十文字原が自衛隊の演習場となっているのに対し、塚原高原には古くからの人の営みがあった。田畑が開かれ、牧場が設けられ、近年では観光開発も進められている。高速道の開通で、一帯の風景はよく知られるようになった。
 名前のように、高原には塚が多い。古墳、あるいは水田開拓の際に出た石ころなどを積み上げたものか。九十九塚とまで言う。伝説によると、豊かに楽しく暮らしていた里に、鬼が現れて住みたいと願った。由布岳の神は一夜のうちに百基の塚を造ったら許そうと約束する。
 鬼の力はすごかった。塚は見る見る築かれ、夜明け前に百に達しそうになる。困った神は一計を案じ、由布岳の頂上に立って手にした笠(かさ)をバタバタとたたいて羽音をまね、鶏の鳴き声をあげた。鶏鳴は夜明けの証し。九十九まで築いた塚を残し、鬼はしおしおと立ち去った。
 いわゆる九十九伝説と言われるものの一つである。以来、人々は安心して、再び平穏な暮らしを続け、高原はさらに開かれていったとか。
 塚原の人々の暮らしの中に根付いているのが名物の「甘酒祭り」。鎮守・霧島神社の師走の祭礼の時に行われる。その年の実りを原料に宮座によって甘酒が醸され、まずは神前に供えたのち、樽(たる)を担いだ行列が座元の家へと繰り込む。慣例に沿って、神事とともに宴会。
 翌日がクライマックス。座元がご婦人方を招待し、男衆の給仕で酒や甘酒が振る舞われ、オナゴシの気炎はいやがうえにも上がるという次第。

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