おおいた遺産

観光都市の象徴 別府タワー

[2009年03月16日 16:44]

50年以上市民に親しまれている別府タワー

 鶴見岳連嶺(れんれい)のふもとから別府湾の波打ち際まで、別府市街地は緩やかな傾斜を見せて広がる。緑の山と青い海の間で、街は色とりどりのモザイク模様。泉都は自然と街と人が温かい風景を繰り広げ、そのアクセントとなるのが別府タワーである。
 高さ百㍍。観光別府のシンボルとしてタワー建設が計画されたのは一九五六年、別府温泉観光産業大博覧会の前の年、博覧会の目玉施設として構想された。別府観光開発株式会社が設立されたものの、資金繰りの関係で完成は博覧会の閉幕直前の五七年五月十日だった。
 設計したのは東京タワーと同じく内藤多仲(たちゅう)氏。名古屋テレビ塔、大阪・通天閣に続いて日本で三番目の高層タワー。その後のさっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーとともに「タワー六兄弟」とされている。
 完成時の従業員募集にはおよそ四千人が応募。前にあった当時の北小学校を三、四周するほどの列ができて受け付けを待ったとか。六〇年代から七〇年代前半がタワーを含めて別府観光の全盛期。年間百万人がタワーに上った。周辺の木造旅館がホテルとなったのも同じころ。
 だが、国道10号線の拡幅で敷地の一部が削られるなどもあって低迷期に入り、八〇年代には解体も検討されるほどの危機を迎えた。それも大鵬レジャーグループの経営バトンタッチで免れた。二〇〇七年には五十周年を迎え、国の登録有形文化財ともなった。
 街と海の境でまっすぐ空に伸びる姿はもちろん、地上五十五㍍の展望室からの眺めは素晴らしい。だが、思い出は観光客だけのものではない。幼い時からタワーを仰いで暮らしてきた市民が大半を占める今、それは人々の心のよりどころでもある。そして将来も、タワーは「別府っ子」とともにあり続けるだろう。

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