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戦争の記憶、読み解くNIEのバックナンバー

中津市立豊田小学校6年2組

「長期間」「広い地域で」学ぶ

戦争体験を伝える紙面を読み、考えたことを発表する児童

 今年は米国のオバマ大統領が被爆地の広島を訪問した、歴史的な年となった。中津市の豊田小学校では6年2組の29人が、広島原爆の日を前に平和学習。尾崎康弘教諭が「皆さんは広島、長崎の原爆のことは頭にあると思いますが、戦争はもっと長い期間あったということを勉強しましょう」と呼び掛けた。
 教材は昨年9月7日に掲載された、太平洋戦争の戦地と戦没者をまとめた特集記事。戦争といえば原爆、空襲のイメージが強い児童に、戦争が長く、世界の広い地域で続いていたことを図で示した。
 もう一つの教材は、4月27日と5月4日の「伝える戦争の記憶」に掲載された安部玉記さん(大分市)の戦争体験談。太平洋戦争で駆逐艦「江風(かわかぜ)」、軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」と2度の沈没に見舞われた話だ。
 「ガダルカナル島ってどこにある?」。江風が沈没した場所や戦争の状況を特集記事で確認する。矢矧は戦争末期の1945年4月、戦艦「大和」などと共に、片道の燃料、弾薬で「海上特攻」。航空機による特攻は知っていても、海上特攻という言葉は初めて見たようだ。
 文章を音読した児童は「2度の沈没を乗り越え、生きて帰ったのはすごい」「戦争って長いんだな」「昔と今では命の扱いが違う」…など、さまざまな感想を発表した。文章中の安部さんの言葉「『運が良かった』と言わなければならないのが戦争」―ってどういう意味だろう。「亡くなっていった人がいるから」「戦争に行くことイコール死ぬことだから」。児童から声が上がる。
 つらく思い出したくもない戦争体験。どんな気持ちで語ったのか。児童から「次の世代に戦争の恐ろしさを伝えたかったから」「今が言うべきときだから」「これ以上戦争をしてほしくないから」などの意見が出た。尾崎教諭は「安部さんも、自分が亡くなる前に戦争の恐ろしさを知ってもらいたい、という思いだったのではないでしょうか」と締めくくった。

授業の狙い

本当の思いに迫らせたい

尾崎康弘教諭
「安部さんの語った意味を考えてほしい」と尾崎康弘教諭

 子どもたちは小学校での平和学習を通じ、戦争の恐ろしさや平和の大切さ、空襲や原子爆弾による被害を学習してきている。しかし、まだ社会科の歴史学習を受けていない子どもたちは、太平洋戦争やそこに至る歴史的経緯は知らない。戦争=空襲、原爆と捉える子どもたちも多い。
 5月23、24の両日、長崎への修学旅行で「さるくガイド」さんと、原爆遺構や原爆資料館を見学。原爆の脅威や被爆の実態を知り、平和を希求する地元の人々の思いに触れた。6月23日の沖縄慰霊の日は、沖縄戦について新聞記事のコラムを教材に使って学んだ。沖縄戦については初めて知る子どもがほとんどだった。
 今回は「伝える戦争の記憶」の体験談と太平洋戦争の特集記事を使って授業をした。太平洋戦争が3年8カ月という長い間行われたこと、南方戦線をはじめアジア各地で戦争が行われていたことに触れながら、安部玉記さんの体験から戦争について考えた。
 空爆や魚雷攻撃による軍艦の沈没と漂流、海上特攻という無謀な戦い方は、戦争がいかに「生きる」と対極にあるかを教えてくれる。生きて帰ったことを「運が良かったと言わなければならないのが戦争」と話した意味を考えてほしい。90歳を越えた安部さんがつらい戦争体験を語った、本当の思いにも迫らせたい。

生徒の感想

国際交流を大切にしたい原祐生(ゆうき)君(12)

 戦争の話を聞いて、これからは戦争が起きないようにするため、世界規模で行われている平和のための募金活動に参加したいと思った。国際交流を大切にしたい。

生還した安部さんすごい山本祥子(しょうこ)さん(11)

 戦争はとても恐ろしい。そんな中から生還した安部さんはすごいと思った。戦争の恐ろしさをもっと調べ、戦った人のことももっと知りたい。

原爆投下前後だけでない小野桂君(12)

 戦争の怖さを知るとともに、戦争が原爆投下の前後だけでなく長い時間続いていたこともあらためて分かった。これからの平和授業で自分の考えをつくっていき、意見を言っていきたい。

「海上特攻」初めて知った多田結香(ゆうか)さん(11)

 戦争は本当にとても恐ろしいと思った。海上特攻とか、授業を聞くまで知らなかった。戦争中に何が起きたのか、ほかにもいろいろ調べてみたいと思った。

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