NIE

歴史学び、地元愛養うNIEのバックナンバー

大分市舞鶴小学校6年生

“今昔”の語り部教壇に

地元の津留地区の歴史について学ぶ児童たち
ゲストティーチャーの河野武さん

 「みんなが暮らす津留地区にはどんな歴史があるのだろう」。4月にあった大分市舞鶴小学校6年1組、2組(計53人)の社会科の時間。若杉健志教諭(42)が児童たちに語り掛けた。
 若杉教諭は津留地区公民館が地区の歴史をまとめた「津留今昔」(A4判、93ページ)を発刊したことを伝える新聞記事を示した。記事を配り内容を読んで聞かせた。「この本を作った人のお話を聞いてみよう」
 本の編集を務めた公民館運営委員長の河野武さん(70)がゲストティーチャーとして教壇に立った。
 河野さんは、津留地区が大分川河口のそばにあり三角州をなす地形は約千年前に造られたこと、人が暮らし始めたのは約760年前だったことなどを説明。「沼地でアシや竹などの植物が生えていました。鶴が飛んできたことが地名の由来になったという説があります」と語り掛けた。
 1596年に起きた大型の慶長豊後地震に触れ、「伝説では別府湾にあった島が沈んだといわれます。何という島か知っている?」と尋ねると、「知ってる」「瓜生島」と子どもたちの中から元気いい声。
 昭和の時代に入ると戦争の影が忍び寄り、1938年に大分海軍航空隊ができたことを紹介。「津留は約7割が基地や海軍航空廠(しょう)(工場)になりました。大分市は何度も空襲を受けました」。地区の終戦直後と現在の航空写真を見比べ、児童は「戦争が終わった頃は何もない」と驚いた。
 戦後は沿岸部に新産業都市の工場地帯が出現し、津留では大分市で初の区画整理事業が行われて人口が増えたことを学んだ。
 続いて若杉教諭と河野さんが、毎年の運動会で踊る「甚吉音頭」の物語を解説した。江戸時代に甚吉少年が体の弱い母親を思うあまり、夜に畑の甘ウリを盗み刀で切られたが、日ごろから願掛けをしていた地蔵が身代わりになってくれたという伝説だ。
 地域のお堂には今も首のない地蔵がまつられているという。肥後の武士が持ち帰ったとされる頭部は黒川温泉(熊本県南小国町)を生んだと伝えられ、今も交流もある。子ども新聞「GODOジュニア」の取材で黒川温泉に行き、伝承を確かめた河野斗真君(11)の記事が紹介されると、拍手が起こった。
 最後に若杉教諭が「地元のことを知り、好きになり、もっと興味を持ってほしい」と締めくくった。

授業の狙い

身近な内容で興味を持って

若杉健志教諭
「地元のことを知ることでもっと好きになってほしい」

 子どもたちは6年生になって社会科で学習している歴史に興味・関心を持っている。しかし、自分たちが住んでいる津留地区の歴史については、あまり知らないようだ。
 津留地区は鎌倉時代以降、時代ごとに興味深い歴史がある。「津留今昔」発刊の新聞記事が掲載されたことをきっかけに、授業に編集委員の一人である河野武さんを招いて地区の歴史について話をしてもらう。
 毎年の運動会で踊っている「甚吉音頭」にでてくる「身代わり地蔵」の話を中心に、児童が新聞に投稿した記事も扱いながら学習を進める。歴史学習を始めたばかりの子どもたちにも、分かりやすく身近な内容で引きつけたい。
 自分たちが住んでいる地域の歴史に目を向けることで、これからの歴史学習への興味・関心や地域への愛情につなげることが狙い。

児童の感想

地域の風景の見方変わる亘鍋早希さん(11)

この地域に約760年前から人が住み始めたと聞いて驚いた。1時間だけだったけど、地域の歴史に触れられてよかった。普段当たり前のように見ていた風景の見方が、変わってくると思う。

760年前、想像がつかない繁永翁甫(おおすけ)君(11)

新産業都市に指定されていなかったら、学校周辺の野球スタジアムもなかったかもしれない。津留に人が住み始めたのは760年前だと聞いても想像がつかない。本やパソコンで歴史の勉強をしていきたい。

大分市の空襲にびっくり長木拓己君(11)

瓜生島のことはこれまで知らなかった。戦争では大分市に空襲があったことも聞き、びっくりした。地名の由来が鶴なのはすごい。もっと津留のことを知りたいので、さらに深く歴史を勉強したい。

島の証拠見つかるといい阿南玲央(あなみれお)君(11)

瓜生島が地震で沈んだという伝説を初めて知った。本当に島があったという証拠が早く見つかればいいと思った。大分海軍航空隊ができなかったら、その後に津留が発展することもなかったとも感じた。

このページの先頭に戻る