豊後高田市桂陽小6年 島原と深いつながり


城や祭り、交流の歴史
豊後高田市中心部を流れる桂川右岸の台地上にある桂陽小学校。中世からまちの中心として栄え、城も築かれた。現在の校舎は高田城本丸跡に立っている。江戸時代に島原藩の飛び地となったことで、長崎県島原市との交流がずっと続いている。その歴史を詳しく知るために、6年生42人が新聞作りに取り組んだ。
「学校近くにはお城にちなんだ地名がたくさん残っています。どういったお城があったのか探ってみよう。豊後高田と島原が兄弟都市になってから50周年を迎えました。どういったつながりがあるのか調べてみたら面白いよ」。大分合同新聞社豊後高田支局の佐藤章史記者(35)の提案を受けて、子どもたちは関係者に話を聞くために学校を飛び出した。
豊後高田市教委文化財室の大山琢央(たくひさ)さん(40)には高田城跡から発掘された焼き物や火縄銃の鉄砲玉を見せてもらった。学校周辺を一緒に歩いて土塁や水堀跡を確認した。
新春を祝う地元の伝統行事「ホーランエンヤ」は島原藩領だった江戸時代中期から始まったという。祭りの起源や見どころについて市商工観光課職員にインタビューした。 島原市とは20年以上前から小学生の相互訪問事業が続いている。昨年8月には桂陽小児童会の3人が2泊3日の日程で島原市の児童宅にホームステイした。その体験談を記事とイラストにまとめた。
大分合同新聞社整理・校閲部の浅井優輔記者(32)からは分かりやすい見出しの付け方や紙面レイアウトの基本を学んだ。島原市との縁を次世代へと継承していくカラフルな紙面が出来上がった。
新聞作りの様子(動画)