飛び出せ学校

津久見市保戸島小全学年 悲劇「忘れない」飛び出せ学校のバックナンバー

周藤記者に記事の書き方を教わる児童たち=津久見市の保戸島小学校
「どんな見出しにしようかな」グループで話し合いながら考える児童たち=百枝小学校

平和への思い、歌に託して

 津久見市の保戸島小学校は、マグロ漁で知られた保戸島にある。島では太平洋戦争の終わる直前の1945年7月、同校(当時は国民学校)を狙って米軍機が投下した爆弾で、児童と教師ら計127人の命が失われる惨事があった。その惨事から70年後、全校児童4人は体験者の話を聞いて平和を願う紙面を作るとともに、思いをオリジナルの歌に託して、後輩たちへ伝えようと試みた。
 島で何が起きたか―を紙面にするために、周藤譲記者(65)=大分合同新聞社津久見支局=から、保戸島空襲について聞いた。その後、学校で惨事を経験した当時4年生だった島田繁夫さん(79)から爆撃の危険を感じて間一髪で逃げた当時の体験談を学んだ。同じく3年生だった西田菊人さん(79)は、島に海軍施設があったから攻撃されたのではないかという見方を話した。
 島にある寺で供養を続けている住職の鈴木真友(しんゆう)さん(49)からは、寺に伝わる「骨(こつ)地蔵」の由来を聞いた。保戸島小学校の敷地内にある「保戸島空襲慰霊碑」の建立に携わった三木功さん(82)からは、地域が力を合わせて取り組んだ慰霊碑建立について教えてもらった。
 児童たちは河辺敏和記者(36)=大分合同新聞社整理部=の助言を受けて、紙面のレイアウトを工夫。顔写真とイラストで、一目で分かりやすいように仕上げた。
 また、取材で集めた経験談などを参考にして、『~保戸島空襲の歌~「あの日を忘れない」』を作詞した。保護者の神崎公宏さん(48)が作曲して、明るく優しい曲が出来上がった。CD化に向けて同市内のライブハウスで収録を終えており、近く完成させて販売・配布する。

子どもたちが作った紙面

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