飛び出せ学校

竹田市久住小5年 古里の歌人 筑紫久嶺飛び出せ学校のバックナンバー

佐藤記者と一緒に筑紫久嶺について勉強する児童たち
見出しを考える児童たち

生きざまや思いを学ぶ

 九州の屋根、くじゅう連山の裾野にある竹田市久住町。多くの歌人がその雄大な自然に魅せられ、久住にまつわる作品を残している。1881年に久住町で生まれ、大分県の新派和歌運動の草分け的存在だった薄命の歌人、筑紫久嶺(きゅうれい)もその一人。久嶺の母校、久住小学校の5年生16人が、地元でも知る人が少なくなっている久嶺をあらためて紹介するため、新聞づくりに挑戦した。
 「皆さんの通う久住小学校の大先輩である筑紫久嶺さんはどんな人か知っていますか?」。大分合同新聞竹田支局の佐藤栄宏記者(40)が問い掛けた。「短歌を書いた人」「病気になって久住に戻り、きれいな空気を吸って元気を取り戻した人」。これまでに学んだ事柄の中からさまざまな意見が出た。
 久嶺について調査を続けている同校の田北敏彦校長(56)や元中学校長の志賀静哉さん(87)に、久嶺の家族のことや作品が生まれた背景などを詳しく聞いた。久嶺が亡くなる前に詠んだ短歌に、子どもたちは久住の自然への愛着と命のはかなさを学んだ。
 明治以降、北原白秋や野口雨情ら著名な歌人が久住を訪れた。久住の自然の素晴らしさに感動し、詠んだ作品を刻んだ歌碑が久住町内に18カ所あり、そのうち5カ所を訪れ、歌に込められた思いを学んだ。
 久住町の歴史も取材し、久嶺の生きざまや、歌碑のことなどと併せて記事にまとめた。河村基史記者(26)=大分合同新聞整理部=から、見出しの付け方やレイアウトについて学び、久住高原の雄大さも伝わるように、カラフルなイラストもふんだんに使った新聞を完成させた。

子どもたちが作った紙面

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